「どんな時自分は変態だと思いますか?」
これまで、たくさんの人にインタビューと称して話を聞いてきたが
心からそう尋ねてみたいという衝動に駆られたことがなんどかだけあった。
言葉の響きほどには悪意は薄く、感嘆にちかい想いだと自覚している。
最初の衝動は
ボストンの郊外で虐待された鳥の保護団体の代表の男性と話していた時だった。
数週間前、恋人がもうすこしで左眼をオウムにくちばしで刺されるところだったと
彼は愛おしそうに語っていた。
ふるいコマーシャルの中で
クリスマスの朝に大きなプレゼントを抱きしめる娘をみつめる父親というのがあった。
売りたかったのはウイスキーだったかクレジットカードだったか。
覚えているのは、
少女は赤の他人の、白ひげのおじさんが煙突以外のどこかから忍び込み
プレゼントを届けてくれたとうたがっておらず、父親はその様子をよろこんでいる。
それが芝居だとわかってはいても
子供には死角でうつりこまない親の眼差してきなものが
僕のなかで深く印象に残ってしまった。
そのせいで、目の前の男性がみせるような表情に出会うたび、必要以上に当惑してしまう。
窓越しにみえたカボチャのつると大きな葉に一瞬視線を外しながら
when do you think you are really creepy?と左脳のどこかで静かにタイプしていた。
あれからなんどか、忘れた頃に届く違反切符みたいに
この衝動に立ち止まった。
一番新しい切符は、高名な芸能一家に生まれた心療内科医に
学生時代の奇妙な失踪時件の話を聞いていた時に渡された。
人や動物が死ぬことと、
自分の認識できる”世界”から存在しなくなることの境界線が
あいまいになった時期があったと彼は言った。
ジャーナリズムという、わりかし新しく、
ハリボテをえてして「味」とすりかえる思想には
いつだって社会的正義や客観性という概念が
ハンバーグステーキのミックスベジのように添えられてきちゃうもので、
たのんでもいないそういう約束ゴトを残せずに食べてしまう性分は
きくべきでないであろうしつもんと
きいたところでどこにもとうたつしえないであろうこたえに
たっぷりのデミグラスソースをまとわせてのみこんでしまう。
ほんの6日前も
休暇先へと向かう機内でだされた鶏の胸肉にそえられたインゲンやマッシュポテトを
正体不明の黄色いソースといっしょにほうばっていた。
わるくないわるくないと。
成田で変えた2万円の現地の通貨で
おおきなホームセンターに行って靴を一足買った。5日前のことだった。
くるぶしまで覆うブーツの先には仰々しく鉄板が入っていて
わるくないわるくない。
初めて訪れた国で
馴染みのない紙幣で初めてお金を支払う瞬間はいつでも少し緊張する。
壮大な詐欺計画にのせられていたらとまでは思わないが、
手品師の早業に必死に目を凝らす子供に帰ったような気分に似ている。
ただの紙切れのはずのお金に価値があることを
当たり前に感じてしまっているから
紙切れにのっかった「信頼」や「信用」が一瞬でも透けて見えた気がしてドキドキするのだろう。
あのコマーシャルの父親の眼差しにドキドキしたみたいに。
とにかく、僕はいま
丘の上の一軒家に身を寄せている。
もうすぐやってくる冬に備え
森で木を切り蒔きにする。
と思っていたら、今日割った生木が暖炉にくまれるのは来年の冬だと笑われた。
薪割りが上手にできるようになるのに半日と手豆が4つかかったのに。
ゆっくりゆっくり歩く時間に合わせようとして今日も転び、
森のなかでなんでもないつるに足を取られて明日も転ぶ。
なんども、おもしろいように転ぶ僕を、無数の羊が冷めた目で見ている。
この一年ちょっとは、僕の人生ではめずらしくゴチャゴチャしていたほうで
(といってもライターとしてでのことではないけれど)
ようやく見つけた休暇なのに
どうして旅先でまで望んで転んでいるのだろうとばかばかしく思わなくはないが、
その瞬間、i am such a creep.と思いもする。
静かな里に朝から雨が降っている。
夜は野ブタを追い
鹿を狩る。
(書けばライターなんじゃない 書く前にやらなきゃいけないことが沢山ある
それに気がつけただけでも ライターになってよかった)
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